先に申し上げると、日本大学アメフト部の内田前監督は、指導者として最低だと私も思います。
と早速、内田前監督をこき下ろしてますが、今回は内田前監督を取り巻く環境から、今年5月に起きた日本大学アメフト部発の悪質タックル問題について、私の思う所をお伝えします。
今年の5月に起きた日本大学アメフト部のいわゆる悪質タックル問題は、世間に対して大きなインパクトを与え、この1件を通して様々な業界の有識者からの意見が殺到しました。この問題の本質的な部分については、解決されているとは思いませんが、既に世間の注目からは離れ、遠い昔の出来事として葬り去られようとしています。
私自身も、この件を掘り起こして議論するつもりはありませんが、ただその中で、私が少し違和感を感じる論調があったので、その部分に関しては、私なりに思うところを今回はお伝えします。
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私が違和感を覚えたのは、
内田前監督と篠竹元監督を引き合いに出して、内田前監督を批判する論調です。
上記は、日本大学アメフト部の指導体制が一新され新たなスタートを切ろうとしている時に、投稿されたものです。
時代は移り変わり新しいフェニックスの在り方を模索しなければならない時期を迎えているのも確かです。なぜなら、篠竹さんのような指導者は、二度と現れないからです。
揚げ足を取るような行為を私は好みませんが、この文脈からは、故篠竹氏のような指導者が現れるのであれば、新たな日本大学アメフト部の在り方を模索する必要がないようにも読み取れます。
しかし、私はそうは思いません。
指導は、私生活の乱れはそのまま練習や試合に悪影響を及ぼすとの信念に基づいていた。二十歳前後の学生の考えることなどは極めて危うく、高が知れている。わが身を振り返ってみても、それはその通りだと思う。(「勝っても負けても淡々と」 学生を愛した鬼監督・篠竹幹夫 より)
前者の信念については、私もその通りだと思います。しかし、ネットが完全に普及した21世紀生まれの若者の方が、日本全国そして全世界からWeb上に寄せられる高度な情報の雨に打たれることに慣れているため、時として、そこに蓄積された高々二十歳前後の学生の経験値は、我々の経験値をはるかに上回っていることがあります。従って、後者については20世紀までは通用した信念かもしれませんが、もはや現代社会に通用するものではありません。
「確かなものは、覚え込んだものにはない。強いられたものにある」。日本を代表する批評家、小林秀雄の名言を集めた「人生の鍛錬」の一節で「強制されたものが、案外後々になって自分の力になることが多い」という意味だという。(「勝っても負けても淡々と」 学生を愛した鬼監督・篠竹幹夫 より)
私は、県下のいわゆる進学校に勤めていた時、視野の狭い大人(教師)たちの偏った知性の獲得を、あたかも生徒たちが強要されているように思え、若い世代の可能性が刻一刻と潰されていく教育現場に失望した経験があります。
そもそも今回の日本大学の悪質タックルの件は、内田前監督が篠竹元監督のノウハウを再び浸透させようとした為に起こってしまったものだと私は考えます。
「スポーツは勝つことがすべて」を掲げる一方で、教育者として礼儀や世間の常識をたたき込む。「どんなに辛いと言ったって、たかがスポーツじゃないか。たったの4年間。この程度のことに耐えられなくて、社会に出て何ができるというんだ」。1日で体重が3、4キロ落ちる過酷な日々に耐える教え子を、篠竹さんはこう叱咤した。(「勝っても負けても淡々と」 学生を愛した鬼監督・篠竹幹夫 より)
このような篠竹元監督の下で指導に当たっていた内田前監督にとっては、新しいフェニックスの在り方を模索していた篠竹元監督なき後の日本大学フェニックスがぬるま湯に浸かっているかのように錯覚し、苦虫を噛み潰すかのように、そして歯がゆく感じられたのではないだろうか。そのような想いから、監督に再就任した昨年に、※「甘いことをやっていたら日本一になれない」と猛練習を課してきたのでしょう。
※【アメフット】日大の内田正人監督 27年ぶり優勝に導く…運動部に大きな権限 より
内田氏の指導スタイルは時代錯誤的で、理不尽そのものだった。有望な選手を精神的に追い込むことで成長させようと、チーム全員の前で名指しで酷評したほか、「(試合に出さずに)干すぞ」などと圧力をかけて厳しい練習を課した。運悪く対象に選ばれることを、部員たちの間では「はまる」と呼ばれていた。春から標的にされたのが宮川泰介選手で、悪質な反則行為を行うまでに精神的にも追い詰められていた。(【アメフット】「白いものも黒」…日大・内田監督時代の異様な部体質、変えられるか フェニックス再生は より)
「日大アメフト部内の暴力は、内田前監督時代に始まったものではない」と語るのは、内田氏の前任者・篠竹幹夫元監督(故人)時代を知る日大アメフト部OBだ。篠竹元監督は、44年にわたって日大アメフト部を率いた伝説的な監督として知られている。
「体罰は当たり前ですよ。篠竹監督、コーチ、上級生からはもちろん、同級生同士でも殴り合いがありましたね。当時、内田さんはコーチでした。その時から厳しい人でしたが、篠竹監督のような独特の怖さはなかった」
恐怖と強制によって集団を支配する組織はいずれ崩壊します。今回の日本大学の悪質タックルの件を通して、私はそのことを強く認識しました。篠竹元監督は当時の時代背景を盾に、内田前監督は学内の常任理事という権力を盾にして、集団を支配しようとした違いにおいては、内田前監督からは悪質性を感じます。しかし、いずれにしてもこのような指導方法は現代には通用しません。5月6日の関西学院大学と日本大学の試合後、内田監督は次のように発言しています。
関学の鳥内秀晃監督の「あれ(悪質タックル)で試合を壊された」とのコメントを聞かされ、こう言い放っている。
「よく言うよ、何年か前の関学が一番汚いでしょ」引用:http://bunshun.jp/
引用元のブログでは、
2014年の甲子園ボウル前に内田正人監督と関学の鳥内秀晃監督が試合前に舌戦を展開。
内田正人前監督は、「悪いっていうことじゃないんですよ。タックル、ブロックにしても『お前、どこつかんでんの?』っていう“反則”も他の大学と比べるとうまい」と発言。
と、4年前の関西学院大学にフォーカスされていますが、内田監督の真意としては2014年だけではなく、過去何十年に渡る関西学院大学との甲子園ボウルや春の交流戦などの関わりを通しての発言だったのではないでしょうか。そして、それは関西学院大学だけでもアメリカンフットボールだけに限定されるものでもなく、特に1990年代以前の体育会においては、審判の目を掻い潜る姑息な行為を含めた、現代ではとても受け入れられないような理不尽な風習が多く存在していたのだと思います。内田前監督は、このような時代錯誤の常識に未だに縛られているから、悪質タックル問題以降、自分自身の立場が失墜していく現状にも納得がいかないのでしょう。
想像を絶する理不尽な環境を乗り越えてきた体育会系の学生であれば、上下関係を重んじ、社会に待ち受ける並大抵の理不尽はものともしませんから、企業としては喉から手が出るほど獲得したい人材だったのでしょう。
以前のブログでもお伝えしましたが、今は必ずしも1つの企業に定年まで勤める時代ではありませんし、理不尽を強要する上司などとは、いつまでも付き合わなくても良い時代です。私は、この記事を通して篠竹元監督を批判するつもりはありません。当時からもいろんな反発があったみたいですが、篠竹元監督の信念は、その当時の若者に対しては将来に通じるものがあったのだと思います。しかし、それは過去のものであり、過去の栄光を引き合いに出して、篠竹元監督を賛美し内田前監督をこき下ろす論調はおかしいと思います。そして、篠竹元監督の信念を現代社会に通じるもののように主張することで、多くの批判を浴びてしまうことを考えると、不用意かつ不必要な主張を展開することは故人に対しても失礼なことのように思います。
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