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レスリング、アメフト、ボクシング、水球、体操・・・2018年は、かつてない程にパワハラ問題に関する報道がなされました。特筆すべきは、それがトップレベルのスポーツ選手・団体発の問題であり、地方国公立大学アメフト部のコーチとして関わる私にとって、それは衝撃的でした。

というのも、パワーハラスメントを前提とした指導は、もはや今のスポーツ界では通用しないという意識がここ数年私の中で芽生え、トップレベルのアスリートが関わる成熟した組織では、その様な風土はすでに一掃されているものと認識していたからです。

しかし、よくよく考えてみれば、トップレベルのチームでさえ(もしかしたらトップレベルのチームだからと言った方が正しいのかもしれませんが)、このような旧態依然とした習慣がなくならない。だからこそ今もなお全国的にパワーハラスメントに苦しむスポーツ団体が数多く存在している訳です。その様に捉えた方が比較的正しいように思います。

パワーハラスメントが問題になる原因は多岐に渡り、その他の要因については、別の機会に取り上げることとして、今回はその様なパワハラ問題を引き起こす指導者の権威に焦点を当てて、なぜパワハラ指導者は安定した権力を行使できるのかという事について、私なりの見解をお伝えしようと思います。

平素は高校教師を務めていることもあり、私はいろんなタイプの指導者と交わる機会に恵まれています。あの先生は生徒に暴力を振るっているという噂を耳にしたり、この先生の指導はちょっとどうかな・・・と思ったこともあります。

他人の事をとやかく言うのは好きではないので、私自身のことも言っておくと、今まで体罰とまではいかなくても生徒に対して、この指導の仕方は良くなかったなと反省することは何度かあります。だから、このようなスポーツ団体での報道を目にするたびに、つくづく指導者の仕事は難しいなぁ・・・と痛感する次第です。

話が少しそれたので本題に戻ります。このような環境に身を置く私には、パワハラ指導者に対してある一定の共通項が浮かび上がってきます。

それは、関係者には厳しく、部外者に対して物腰が柔らかい ということです。

ここで言う関係者とはスポーツ活動に従事する選手を指します。

まず11月に報道されたこちらの記事を例に説明します。

一方的な暴力映像と共に問題が報じられています。

世間からは厳しい意見が殺到していますが、生徒たちからは次のような声も挙がっています。

物腰が柔らかいというのは、何も目上の者に媚びへつらうというだけではありません。名古屋経大高蔵高校での体罰問題については、授業を受ける生徒からは、素晴らしい先生と受け止められています。その一方で、野球部の生徒からは、練習では厳しいので、練習にはあまり行きたくないとの声が上がっています。

今回は状況証拠として、一方的に体罰を振るう動画が決定打となり、世間から深刻な問題として注目を集めましたが、もしそれがなければ野球部の生徒は、どのように問題提起をすればよかったのでしょうか??

事の真相は当時者でないとわからないので、一方的なことは言えません。もしかしたら、今回の件は、何かのはずみで起きてしまったことであり、酒井弘樹監督は今でも野球部員から信頼されている監督なのかもしれません。

しかし、以下のツイート

と、

プロ野球経験者が選んだ「指導者の道」 名経大高蔵 酒井弘樹 職業は「監督」ではなく「教員」

の記事から酒井弘樹監督は感情の起伏が激しく勝利至上主義者であることから推測すると、野球部の生徒に対しては厳しく、その他の生徒に対しては優しい二面性を備えていたのではないかと私は考えます。

そして、そのような指導者ほど、自分自身の経験を基に選手たるものこうあるべきという思想を強要する傾向にあります。自分自身の経験とは何か?というと、それは20年前、30年前、自身が学生時代に経験してきた理不尽な環境を過ごした時間を指します。

教育困難校においては、自分自身を肯定的に捉える「自己肯定感」と「自己有用感」を育むことを目標に無気力・無関心な生徒に対して教育活動に励みます。この「自己肯定感」と「自己有用感」は、人生を前向きに生きるために必要な感性ですが、自分自身の誤りでさえも正当化してしまう危険性があります。
「俺は過去に、これほどまでに理不尽で過酷な環境を乗り越えてきたから、ここまで強くなれた。だから、俺の指導を受ける選手たちにも同じ環境を与え、それを乗り越えることで、俺を超える名選手になってもらいたい。」

勝利至上主義者に情熱が加わると、選手のニーズを無視した一方的な指導に発展します。他人に対する礼儀作法をわきまえた真摯で誠実な人間ほど、選手たちに誠意をもって熱烈な指導を行います。それが選手たちにとって、不必要なまでにストレスを与えていることに気付かずに・・・。むしろ、それに気付いていて、

「これしきの困難に乗り越えてこそ、一人前の選手になれる。」と思い、敢えて心理的な負荷を与え続けているのかもしれません。

このような状況において、もしも仮に名古屋経大高蔵高校の生徒が、

「酒井弘樹監督の指導が厳しいから何とかしてほしい」

と声を上げたとしても、生徒から評判の先生です。野球部の生徒が、友人もしくは担任の先生に相談をしても、

「酒井先生だったら、きちんと話せばわかってもらえる。」

と軽くアドバイスを受けるだけで、問題の本質に気付いてもらえなかったのではないでしょうか。

仮に野球部員が

「練習が厳しいので、もう少し優しくしてください。」

と直接訴えたらどうだろうか?

「この程度の練習が乗り越えられなくて、甲子園に出場が出来るわけがない。」

と一蹴され、

「こいつは、気持ちの弱い奴だ。」

と過小評価されスタメン落ち。さらに、ひどい場合には、

「このようなたるんだ気持ちを蔓延させてはいけない。」

と、連帯責任を強要し1選手の行動により周りの仲間たちにまで、今まで以上のスパルタ指導が波及していく・・・。このような想像が部員たちの中で働くのではなかろうか。そうなると野球部の生徒は、ただ厳しい指導に我慢して耐えるか、大好きな野球をやめるという選択肢しか残されなくなります。

その時、部員は指導者に対して絶対服従を強いられ、勇気をもって部を去った者は負け犬のレッテルが押されてしまう。そんな組織へと変貌を遂げてしまいます。

ここで、今回のまとめに入ります。
  1. パワハラ指導者は、部員には厳しく、部外者には優しい、2重人格の側面を持つ。
  2. 過去の理不尽な経験と情熱を備えた指導者は、パワハラが蔓延する組織を作り上げる可能性がある。

社会全般に渡って終身雇用が一般的だった20年前、30年前あたりであれば、厳しい指導に耐えてきた学生の忍耐力と忠誠心は、企業からは大変重宝されていたので、いわゆる体育会の理不尽な指導は時代にマッチしていたところがあります。しかし、これから先の時代は自分自身の力で将来を切り開いていかないといけません。終身雇用に甘んじる人間が多く集まる組織程、先に衰退していくのではないかと私は考えます。それに加えて、スポーツに関する科学的なアプローチ方法も普及しており、もはやスパルタ指導でなくとも知識さえあれば、誰でもそれなりのレベルに上達できるのが今の時代です。時代の変化と共に、スポーツ界の指導体勢の一刻も早い変革を望む次第です。

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