今日は、3年生の希望者対象の「志望理由の書き方講座」が午前に開講されてたのですが、私のクラスの生徒の参加率が、他のクラスに比べて圧倒的に少なく、
君、それで生徒は履歴書ちゃんと書けるのか?
と進路の先生から問い詰められる一幕がありました。
この講座の案内には、「積極的に参加するように!」と確かに書かれてましたが、
そう心の中で思いました。
この講座に参加している生徒に用事があったので、終了間際に会場を覗いてみましたが、100人近い生徒に対して、口頭説明が中心の講義だったので、集中力が切れてる生徒が散見されました。
横見てしゃべってる生徒もいたし、おそらくこういった生徒は、他クラスの担任の先生から、ほぼ強制的に参加させられてたのでしょう。
本当に必要だと思った子が参加する!
と、ある程度限定しておけば、双方にとって有意義な時間になると思うのですが、ただ「履歴書を書くのに役に立つ!」という表面的な理由付けで参加を強制するのはよくありませんし、たかが1時間、受け身の状態で話を聴いた程度で、きちんとした文章など書けるようになるわけがありません。
これは、期日までにきちんと履歴書を書けるかどうかを心配されているのだと思いますが、個人的には、特段の理由もなく期限を守れない生徒など、就職試験を受けられなくしてしまえば良いと考えています。本当に受けられないという前例があれば、生徒にしろ、指導する教員にしろ、もっと本気になるでしょう。
こういう、変なところで甘やかそうとするからいけない。だから、時としてピントがずれた叱り方をせざるを得なくなってしまうから、生徒たちの心に何も響かない。
この辺りが、他の大半の先生方と私の考え方がずれているところだと思います。どちらが良いとか悪いとかではないですが…
本校の生徒の実態を考えると、引かれたレールに乗っかるというか、学校斡旋の力を借りて、少しでも優良な企業に就職した方が、(大半の)生徒たちにとっては、ベストな選択になると思うので、
それが私にとっては気持ち悪く感じるところです。故に、今年限りで退職するわけですが…。
今日みたいに
我を貫こうとしたら、周囲に迷惑がかかるし、周囲に合わせようとすると、自分自身が病んでいく…。
これは私にとって不健全な環境です。
何か愚痴っぽい内容になってしまいましたが、夏休み2日目にして、心の中に溜まった毒素が抜けているような感じがしました。
ここ最近は、今までの疲れと、持病の腰痛などの体調不良で、内心イライラしやすい状態にあったので、生徒対応が迫られた時に感情で指導してしまわないように細心の注意を払っていました。
生徒のミスに対して、「まずは全てを受け入れて、最善の指導を検討する」ことが基本ですが、その前に、悪辣な指導法が心の中をよぎり、その感情を抱いたまま行動に移ろうとするので、
ということを自覚してました。
しかし、今日の午後あたりから、そんな心境が少しばかり変化したような感覚を覚えました。
やはり、授業がないと楽ですし、40名の生徒を一度にまとめて何らかの指導を行うのは、精神力を消耗するのですが、1対1だと、負担感が全然違います。
それは生徒にとっても同じことで、狭い教室に閉じ込められて、周囲の生徒と足並みを揃えて動くことに無自覚ながら、それなりのストレスを感じているのではないでしょうか。
もしかしたら、明日から連休という解放感が、精神的な圧迫感を取り払ってくれたのかもしれません。
まぁ、何はともあれ、日々万全のコンディションで職務に臨むことが大切で、そのために休むことも大切な仕事です。今は心身の回復期です。