アメリカンフットボールは、三重県の全ての高等学校の課外活動には存在しないスポーツなので、自分の経験が学校現場でフルに活かされることはありません。
ウエイトトレーニングなどを教える時は、その当時の知識と経験を活用できるという例外は確かにありますが、それはあくまでも特定のクラブ活動の補助的なものでしかありません。
もしも仮に、大学卒業後、教職に就いた20代のうちに何らかのスポーツを1から学んでいたら、今頃は、授業はそこそこにこなしながら、熱心にクラブ活動を指導していたかもしれません。
しかし、大学を卒業してから今まで彼是15年以上、三重大学のアメフト部の指導を行ってきました。
私が退職を決意した理由
大学での指導は、あくまでもプライベートでの活動なので、本業の高校現場では、当然評価はされません。それに加えて、高校においても何かしらのクラブ顧問を担当することになるので、全てにおいて中途半端になっていました。
三重大学の方は、基本的に学生たちでチームを運営するための最低限のことは出来ますが、チームを強くしようとか、成長させようとなると、指導者の力が必要になっています。
そうなると圧倒的に私に与えられた時間が不足してしまいます。チームの競技能力を向上させることから、部員数の確保や経済的負担の克服。どれも生半可な関わり方では、クリアできない課題です。
今まで限られた時間の中で、いろいろと試行錯誤したことがありましたが、根本的に上手く機能しませんでした。
ある程度の方法論はあるので、時には、私自身の考える通りに練習してくれたら強くなると思って、一方的というか高圧的に指示を出して、無理やりにでも学生たちを動かそうとしてきたことがあります。
しかし、表面的な行動を強制しても、精神面での同意が得られていないと、自発的な行動からくる成長は期待できません。
原監督の著書より
メディアで報道される内容だけだと、普通のサラリーマンだった原監督がトントン拍子で、青山学院大学陸上部を日本一のチームに導いた印象になってしまいがちです。
しかし、そこに至るまでに、原監督自身も学生たちとのトラブルなど、苦労を重ねてきた期間が存在していたことがわかります。
数年前に書籍を拝読した時のうろ覚えになってしまいますが、その中で、サラリーマンとの掛け持ちでのコーチングだと、「学生たちに見切りをつけられる」云々の文言がありました。
サラリーマン業と指導者の掛け持ちだと、学生たちから、
仕事の片手間に指導しているだけの存在である!
と見られてしまい、結局、その程度の存在としてしか学生たちは関わってくれないという訳です。
日本一のチームを目指すのであれば、学生たちにそれ相応の覚悟を求めないといけませんが、
この時、私は、今の自分自身が中途半端な存在であることを悟りました。
高校教師であると同時に、大学アメフト部のコーチとしてチームに関わることは、生半可なことではありません。しかし、私がどれだけ厳しい環境に身を置いていたとしても、学生たちからすれば、私は週末の余暇に関わっているだけの中途半端な存在に過ぎません。
チームの成長を望まないという選択肢もありますが、それであれば、私がアメフト部に関わる必要はありません。
チームの方針は、私の一存で決められるものではありませんが、自分自身の今後を考えた時に、高校現場における私のニーズは、ほぼ無いに等しい状況です。(これについては以前の記事を確認ください。)
そこで、まずは学校現場を離れて、中途半端な現状をいったんリセットしよう!
そのように考えた次第です。