日常生活における経験により、学生は物理現象を誤解していることがある。
学習は現実の個人的経験と結びついてこそ、より効果的で強固なものになりやすい。
したがって、学生が現実の物理現象に関するどんな知識や推論を授業にもちこんでくるかを我々教員は理解しておく必要がある。
学生は物理の問題について推論する際に、今までの日常生活の経験から獲得した、知識を使っている。
しかし、その知識は物理の授業で伝える法則と矛盾していることが往々にしてある。
この生徒たちが抱える矛盾した知識を授業者たる教員が把握していないとまさに最強の矛が最凶の盾を貫けないがごとく、たとえ理路整然とした説明を与えても生徒たちには決して伝わらないのである。
これを生徒の先入観や思い込みによる誤解と表現してしまうと、生徒たちをネガティブに捉えてしまいかねないことを考慮して、
においては、これを素朴概念と名付けていくつかの事例を挙げている。
物体はほうっておけば静止する。
もし移動しようと思えば、歩くための労力を使わねばならないし、その労力を費やすのをやめるとただちに止まることもまた知っている。
⇒慣性の法則と矛盾。
電気を、電源(電池)から直接「引き出す」ことができるか、接触させることで「流れ出させる」ことができるエネルギー源ととらえる。
⇒下図の右側の回路のイメージが正しいと思い、左側の正しい回路のイメージが持てていない。
生命をもたない支持物体は力をおよぼすことができない。
⇒「力」という言葉から引き起こされる連想のパターンは、意思や意図という観念と強いつながりを持ち、生命を持ったものによって生み出される何かと強いつながりを持っていると認識しているので、壁が支える力など、特に動かない物体から力が発生するということに強い抵抗を覚える。
その他、
・重い物体は軽い物体より速く落下する。
・動いている物体には、それを動かす何らかの力が働いている。
などなど、同じ理科の科目である、化学や生物の授業が0の状態の生徒に対して、1を伝えることだとしたら、物理の授業は、-1の状態の生徒を0の状態に戻したうえで1を伝えるイメージを持っておかないといけない。この手の素朴概念は、長い年月をかけて定着したものであり、講義形式の授業で端的に伝えるだけでは、正しい理解へ導くことは出来ないし、かと言って懇切丁寧に説明を与えようとすると、とても間延びした退屈な授業になってしまう。素朴概念と真摯に向き合うために、授業者は、実際に正しく現象を理解するための体験的ないわゆる実験授業を提供しなければならない。
しかし、この実験授業にも並々ならぬ配慮が必要になってくるのであるが、これについては、また次の機会に。