教育困難校に初めて勤務する方はそれなりの
覚悟を持っておかないといけません。
そのように言われても、
これから教師を目指す学生さんには
あまりイメージ出来ないのではないでしょうか。
私もその一人でした。
それもそのはずです。
教師を目指すということは、もうすでに大学に通って、
教員免許取得のための単位を修得したり、
附属の小中学校ないし、
出身の高校へと教育実習へ赴いたりするわけですが、
教育困難校とされる学校に通う生徒たちは、
基本的にそのような進路を歩みません。
つまり、教師を目指す学生であるという段階で、
そのような生徒たちとは
異なる道を歩んできたということになります。
そして、いざ教師になって
教育困難校に配属されると衝撃を受けるわけです。
これをカルチャーショックと表現する先生がいましたが、
まさに我々が育ってきた環境とは
全く異なる文化圏に放り出されたかのような感覚になります。
私が初めて常勤講師として配属された学校は、
どちらかというと教育困難校に分類されるところでした。
赴任直前の打ち合わせでは、
生徒は勉強が苦手であると言うことを
強調されていたので、
当時の私は、
と安易に考えていました。
生徒たちは、授業などきちんと聞こうとしないというか、
そもそも学ぶ気がない。
学ぶ気がないから、授業中に奇声を発したり、化粧をしたり、
堂々と机の上にファッション誌などの雑誌を広げたりと、
やりたい放題です。
全ての生徒がという訳ではないですが、
その他の生徒にとっても授業は、
ただ授業者が板書する内容を
ノートに写すだけという認識しかなく、
授業者から見るととてもモチベーションが低いように映りました。
その時、私は、
と、自分の置かれた環境の厳しさを初めて痛感しました。
「教育現場で難しいと思うことは何ですか?」
という風な質問をされた時に、
と返答したことがありますが、本当にそのような状態でした。
(この回答はまずいなと後で思いましたが、
案の定、その時の試験は不合格でした。)
と思うことが頻繁にありました。
このような学校では、
今までに生徒たちに追い込まれて
教師がノイローゼになって休職したり、
生徒や教師がトイレで自殺したりというようなことが
過去を遡るとほぼ確実に起きています。
私が当時勤めていた学校にも、
特に理由が語られずに使用禁止となっている
トイレがあったように記憶しています。
職場での先生たちの雑談の中で、
などと、他校も含めた過去の重大事件が話題になることもありましたが、
「そのような事は、自分自身が務める学校においても
十分起こり得ることだけど、
果たして自分は大丈夫だろうか・・・」
とナーバスになることもありました。
そのような最低な精神状態の私に、大きな心境の変化が訪れます。
教職を経験するまで、
教師の仕事の大半は授業をすることだけだと
私は思い込んでいました。
しかし、学校の先生は、その他に校務分掌といって、
総務、教務、情報、生徒指導、生徒会、進路、保健、図書、人権、
そしてクラス担任、
と学校運営を円滑に進めるために分担された組織に配属され、
その役割を担います。
私は当時、教務部に配属され、
主張や体調不良で欠席する先生のために授業の時間割を変更したり、
自習監督を依頼して取りまとめることに加えて、
授業料の減額・免除と奨学金申請の
窓口を担当することが主な業務でした。
授業料の減額・免除(減免)の申請処理の一連の業務は、
大抵の学校では事務職員の方が行っているように思います。
私が当時勤めていた学校では、
事務職員の方と連携して行う形で、
教師側もある程度業務を請け負っていました。
しかし、これが私にとっては良い経験となりました。
4月に入ると、
この春に入学してきた1年生の授業料減免の申請手続きを行います。
この業務の流れとしては、次のようになります。
- 生徒の家庭に授業料減免制度の案内用紙を配布する 。
- 生徒の家庭より、授業料減免申請書類と所得状況および世帯状況を把握するために課税証明書と住民票を提 出してもらう。
- 世帯状況と課税額から、授業料の「減額」、「免除」、「不認定」の判定を下し、結果報告書類を各家庭に配布する。
そして、4月の中旬から下旬に差し掛かってくると、
クラス担任の先生を経由して
生徒から授業料の減免申請用紙、課税証明書と住民票が
私の手元に続々と届きます。
いよいよ本格的な業務の始まりだと、
慣れない仕事に気持ちを引き締めて取り掛かろうと、
提出された書類に目を通しましたが、
その時、私は愕然としました。
かなりの家庭が片親のみ、中には両親すら存在せず
祖父母と共に暮したり、児童養護施設で生活する生徒も・・・。
そして、その収入は、大学生のアルバイト並みの金額・・・。
大体ですが、
そのような家庭が30名程度のクラスで
4,5人くらいの割合で存在していました。
私は、提出された書類内容を確認しながら
生徒1人1人の生い立ちに思いを馳せていました。
昼間に母親は仕事に出かけ、一人取り残される孤独な幼子。大人に甘えたくても、甘える相手がいない・・・。
仕事を終え家路に着くころには疲労困憊で、母親は子どもに必要な食事を与えることだけで精一杯。家計は常に厳しく、子どもたちにまともな物を買い与えてやることが出来ない。
小学校に入学はするものの、
勉強がわからなくても、
塾へ通うどころか、
生きることに疲れ果てた母親を頼ることさえも憚られる。
やがて、学習は行き詰まり、中学校へ入学する頃には、
授業は先生の言っていることが全く理解できず、
ただ聞いているふりだけして、
ひたすら50分間黙って座ることに耐えるのみ・・・。
その間、友だちや先生もしくは親から、勉強が出来ないことを追及され馬鹿にされ、ダメ人間のレッテルが貼られ、自尊感情は崩壊していく・・・。
私は学生時代までは、教師になるのであれば、
数学の教師がいいなぁと漠然と思っていましたが、
教壇に立つようになってからは、
理科の教師でよかったと思うようになりました。
理科教師であれば、個人の話術などカリスマ性に頼ることなく、
授業内容の見せ方によって生徒を楽しませることが出来る。
授業の準備にかける時間的労力は並大抵のものではないけど、
そこをクリア出来れば、経験値が低い
若い教師でも生徒たちが楽しめる授業が提供できる。
とは言っても、
すぐにそのような授業内容を揃えることは出来ません。
そのような思いが芽生えたとしても、
生徒たちは相変わらず無気力でだらしないです。
時には、生徒たちと衝突しストレスは膨れ上がることもありました。
しかし、この時から生徒たちを理解しようという
前向きな気持ちが持てるようになったと思います。
教育困難校においては、無気力な生徒たちに対して、
教師は心のエネルギーを注ぎ込み活力を与えることが
専らの職務となります。
その反動で精神的エネルギーを大量に消耗し、
逆に教師の方が気力を失いリタイアしてしまうことさえありますが、
その部分については、
これから教壇に立つ予定の若い先生は覚悟をしておいてください。
その際、私の経験が心の糧となって役立に立てていただければ幸いです。
授業の技術シリーズ(続き)はこちらのガイドを活用ください。