今日は就職調整会議なるものが開催されました。
この会議では、学校の斡旋による就職を希望する生徒を、最終的にどこの企業に送り出すかを決定します。
会議では、全クラスの生徒名が成績順に縦に並べられ、横には、第1希望から第5希望までの企業名が記載された一覧表が各担任に配布され、成績上位の生徒から順番に就職試験を受ける企業を確認、決定していきます。
ある程度、わかっていたことですが、一覧表を上から眺めていくと、私のクラスの生徒名がなかなか出てこないこと。例外はありますが、クラス運営の難易度は、学力成績に反比例するので、この一覧表を見るだけでも、
としみじみ思います。
これは学校現場あるあるだと思いますが、大体校内人事というものは、誰もがやりたがらない役職に物言えない新転任の教員をはめ込むもので、私もその典型です。職員の平均年齢が高い現場ほど、物言う教師が多いので、この傾向に拍車がかかります。
とは言っても、
いやいや、それでも些細なことで心労は蓄積されていきます。
動物を扱うように、恐怖心を植え付けて、本能で反射的に行動できるように調教してしまえば、クラス運営は容易にはなるのですが、私は、この手法を好まないというか、そういうタイプではない分、苦労が絶えません。今回の就職希望を書き込む用紙にしても、
月曜日の朝に回収して、担任が不備を確認した後に、13時に進路指導部に提出するから期日には遅れてはいけない!
と伝えても、朝に回収できたのが4分3程度。朝、教室に入ると、ほとんどの生徒が慌てて記入している状態です。(休日を挟んでるんだけど…)
これもある程度想定されたことなので、こうなったらこうすると、事前に対応策は考えてあるのですが、
だと思ったりします。
約10年前に初めて担任した時は、こういう時の感情の制御方法がわからずに困ったものです。ただ怒りや哀しみの感情に任せて、生徒たちを説教しても、なかなか響きませんし、より生徒の心に響かせようと感情のトーンを上げても同じこと。ただただ、生徒集団を前にして、1人担任が疲弊するばかりです。そんな無力な自分を尻目に、朝一で提出物の回収を完了して颯爽と進路指導部に向かう他クラスの担任をみて、さらに凹んでしまう自分。といったことも今は昔。
ということが、出来るようになってきたのが30歳を過ぎてからのこと。
もともと、自分の感情を制御すること自体は得意な方だったはずなのですが、今にして思うと、なぜ30過ぎまで、この手法が定着しなかったのかと不思議に思います。
そういえば、この日も、何かしらの遺憾の念を生徒たちに投げかけてみましたが、直感的に生徒にはあまり響いていないような感じがしました。こういう時は大体、自分自身の発言の裏に邪な感情が潜んでいたりするもので、後々、よく考えてみたところ、
と反省しておきました。
この日は、朝に提出物を回収してから1限目から3限目までは1年生の授業。そのうち2つが実験なので、休み時間も実験準備と片付けにひっきりなしです。それから4限目の生徒対応なので、上手く気持ちの切り替えてが出来てなかったのでしょう。
まぁ、別にこういったことも、本来それほど気にすることではないんです。
私の言葉を心に刻み込むかどうかは生徒の自由。それによって、後悔することがあるかもしれませんが、それはそれで生徒の人生。
よくよく考えてみると、「教師というか私の言葉を、逐一心に留めないといけない!」という程、私は、偉い人間ではありません。
と思えるようになるのにも時間がかかりました。
こうして、教員生活を続ける中で、仕事との向き合い方を日々アップデートしてきましたが、こうして考えていく先に、
そんな根本がずれている中で、社会経験がない生徒に、何百社もある企業から5社を選ばせるなんて酷な話で、
こんな前提がずれた状況で、提出物の期限が守れないことを指導する
というのも、なんか虚しさを感じると言いますか、
と思ったりします。