高校教育:生徒目線のコミュニケーションは多大な精神力を要する
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人間の成長スピードは、人それぞれで異なります。

成長期を迎えるタイミングが統計的に女性の方が早いことから始まり、男性だけでみても、身体が大きくなり始めるのが小学校の高学年であったり、中学生になってから、はたまた高校入学後とまちまちです。

それに加えて、人間の成長とは何も身体的なものに限定されるわけではありません。精神面など、目には見えない側面も人によって成長スピードが異なります。

生徒目線のコミュニケーションは多大な精神力を要する

見た目は大人と変わらない高校生であっても、内面は小学生のようであったり、時には、「幼稚園児か??」と思わされたりする…。このような生徒たちであっても、われわれ教師は生徒と目線を合わせて対応しなければならないのですが、これが我々の精神力を多分に消耗します。

高校に進学する生徒たちは、入学試験における学力と中学校生活の内申点によって振り分けられます。入学試験において地頭のよさ、内申点によって集団生活における適正が評価されて、だいたい精神的な発達が遅れている生徒ほど、低学力であったり、行動が幼稚で年齢相応の集団生活に馴染めないので、内申点は低くなる傾向にあります。そして、小・中・高と学年が進むにつれて、成長ギャップの広がりが顕著になります。

公立の小中学校は、特段の配慮を必要としない限り、学力や人間性など関係なく、特定の学区内に生活する児童・生徒を受け持ちますが、高校では特定の学力層を入学試験によって抽出するので、小中とは違った苦労を重ねることがあります。

特に精神的な発達が遅い子どもたちを相手にすると、多大な精神力を費やします。

小学生に対して、幼稚園児の目線で対応することなど、たかだか数年間の発育の遅れに過ぎませんが、高校生に対して、幼稚園児の目線となると、これはとてもきついです。大人の図体をした生徒に「先生、おし〇こ!」と無邪気に甘えられることを想像してみてください。

十分に休養がとれていて気力が充実していれば、精神的な発達が遅れている生徒であっても「ひとつの個性」として、興味深く・愛情をもって接することができますが、精神的疲労が蓄積した各学期の中盤以降となると、ストレスに感じることがあります。

たとえば、生徒と廊下ですれ違う時に、スッと足を前に差し出して、私を転ばせようと悪戯する生徒がいます。この生徒は、教師に対して悪意を持っているわけではなく、「先生とじゃれ合いたい!」という一種の愛着を表現しているだけです。これに対して、教師が悪意ある行動と認識して指導してしまうと、生徒の心は離れていきます。

精神的に余裕があれば、生徒の足にわざと引っかかって、「何てことするんだぁ!」なんて道化を演じることができます。このような生徒目線の関わりが人間関係を良好に保ち、円滑なクラス運営を進めていくためには必要になってきます。しかし、気持ちにゆとりがなく、無性に1人の時間が恋しい時に、このようなことをされると不快感が蓄積するとともに、こういった行為を無視して素通りしてしまうことがあります。

これが廊下でのやり取りならまだ良いのですが、授業中に「じゃれ合いたい!」と意思表示されると大変です。教師は、この子の欲求を適切に処理しながら、その他大勢のために授業を進めなければならない訳ですから。

精神的に成熟した高校生であれば、日常生活におけるコミュニケーションはビジネスライクで簡素化されているので、このようなやりとりは必要とはしません。心身共に大人と同じです。こういった生徒たちとは、LHRや学校行事の合間など、ゆっくりと腰を据えて語りあうことが出来るので、お互いの想いを共有することができます。こうして大人同士の会話が成立すると、精神力を消耗するどころか教育活動のモチベーションが向上します。

高校は、小中とは異なり中学校の成績で生徒たちが振り分けられるので、精神的な発達が遅れている子が集まりやすい学校に勤務していたら、上記のような生徒と巡り合うことはありません。

このような学校では自ずと生徒対応が大変になってくるので、教員は「担任」や「生徒指導部」に配属されることを敬遠します。そもそも、担任をさせるには能力的に不十分で、重大事件が発生した時の責任問題を問われることを回避するために、校内人事の段階で特定の教員を担任などの要職に配置しないこともあります。学校現場は主任クラスにならない限り待遇が変化することはないので、それが学校内における負担格差の一因となります。

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