高校教育の現場より:昨日は私の誕生日!
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昨日は、誕生日のメッセージを送っていただきありがとうございました。

誕生日の朝は、ガストでブログの更新。

とてもいい天気だったので、外でゆったり歩きたい気分。

ということで、午後は市内探索を兼ねてのんびり散歩。

昨日は私の誕生日

歩きながら、今年の授業の構想や退職後の生活を思索しておりました。

よどみない晴天のもと、前向きな発想が展開できたおかげで、考えあぐねていた問題が収束の兆しをみせてくれました。

そのあたりのことにつきましては、追ってご報告させていただきます。

 

大学を卒業して社会に進出してから、私が今まで培ってきた能力で、社会のお役に立てるものが

大学4年間そして現在に至るまでのフットボール選手および指導者としての経験
・高校教育の現場において、日々展開してきた生活科学実験

に集約されてきました。

そのように自分自身の適性をとらえた時に、現職において「私の提供するサービスが生徒たちが本来求めるべきニーズに合致しなくなっている」ことを感じるようになってきました。

 

昨年、そして今年、この時期になると、

 

どうして今年先生の授業がないの??

と、ありがたいことを言ってくれる2年生の生徒がちらほら現れます。

主に1年生の授業を担当しているので、2年生、3年生の授業を持つことが基本的にありません。そのような事情から、このような声を貰います。

これについては、素直にうれしく

かつては目も当てられないほど未熟だった
私もいよいよこのレベルにまで成長できたか!

と、自分自身の成長を誇らしく思う所存でございます。

 

しかし、私が抱く理想的な世界においては、

今日は液体窒素でアイスクリームを作ります!

 

今回は電気を流してパンを作ります!

と、授業のテーマを告知した時に

 

それ中学校でやった!

とか、

小学校、中学校でやったから、それ3回目!

という、声が聴こえてくる‥‥

というか、聴こえてこなければならない!

そのような想いがあります。

 

しかし、現実世界においては、

私の授業に満足してくれる生徒たちの姿がある。

微笑ましい気持ちの中に、日本の教育の理科離れの深刻さが影を潜めてしまい、私は、複雑な感情を抱いてしまいます。そのような心情を抱きながら、変わらぬ日常と対峙するうちに、「自分自身が変わらなければならない」という気持ちが強くなってきたのが、ここ数年。来年の誕生日を迎えるころには、学校現場を離れた存在になっていることと思いますので、教員生活14年の集大成を皆様に披露すべく、残りの1年間、悔いのないよう精進いたします。

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