高校現場で働く私は、教育困難校で働く先生には特別手当てを支給して給与の1~2割程度の優遇措置を図るべきだと考えます。その一方で、厳しい見方をすれば、財政難の日本において、経済的付加価値を生み出しにくいであろう、いわゆる教育困難校の生徒たちに対して、果たしてそのような財源を割く必要があるのかという疑念が沸き起こります。
教育困難校だけに限らず生徒たちは、
周囲が高校に進学するから・・・、
もしくは両親から高校は卒業しておきなさい・・・
等々の世間体に流されて進学します。
高校に進学して、ある程度授業の内容が理解できる生徒たちにとっては、学校で受ける授業はそれほど苦痛に感じることはありませんが、そうでない生徒たちにとっては、毎日の授業が地獄のような苦しみでしかないのでしょう。
授業についていけない生徒に残された選択肢は、「とりあえず真面目に授業を受けるふりをすること。」、「寝ること。」、「他人に話しかけること。」、「こっそり漫画本を読む。」、後、最近では、「こっそりと携帯電話でゲームをする。」くらいのものです。
教師側からすると、真面目に授業を受けていてくれたら、負担感を感じることはありませんが、授業中に、生徒に寝られたり、私語をされたりすると、授業のペースが乱れます。
学校側は、
「生徒たちは、自らの意思に基づいて(各家庭が)学費を支払って(もらい)、学習権を行使しているものである。」
という認識に立っています。
しかし、蓋を開けてみると、学校に登校してきた生徒たちが
「自らの学習権を放棄している。」
ように見受けられる現象に我々教師は戸惑いを隠せない訳です。
戸惑いを隠せないというのは言い過ぎで、大抵の教師にとっては慣れっこで、大事にならないように生徒たちを適当にあやして、やり過ごします。教師も生きるためにはお金が必要です。これが仕事だと割り切って、何とか授業を成立させようと腐心します。
低学力の生徒たちに、他の生徒たちと同じ水準の知識を定着させるのは困難です。
それならば、教科数を必要最低限に抑える。教える教科は国語と数学の読み書き・そろばんのみ。余った授業時間は、インターンシップと称して、アルバイトを含む職業体験を積極的に行う。
インターンシップの受け入れ企業には、国から補助金が支給されるような制度設計にして、生徒たちの受け入れのメリットを企業側に与える。
授業を行わない教師は、生徒の受け入れ先企業との情報交換を行い、生徒の成長過程を把握し、課題解決に向けた事後指導を実施する。
このようにしておけば、外国人労働者を雇用しなくても、人材供給できるのではないかと、私は考えてみたりするわけですが、
今の社会は、私が望む方向には進んでくれないですね・・・・
こんなことを以下の書籍のタイトルを見て考えてしまいました。