教師の校務多忙と合わせてクラブ活動への外部指導者の採用に関する記事を最近目にすることがあります。
朝出勤して、授業の準備をして、授業をして、授業が終わったらクラブ活動を指導して、クラス担任であれば、その後必要に応じて家庭連絡、そして家に帰れば課題の添削等々、あらゆる負担が教師にのしかかり労働災害が起こってしまうのもやむなしと言った様相を呈しています。
確かに教師が多忙なのは事実ではありますが、それでは我々が時代の変化と共に、校務の改善を図り効率的で生産性の高い組織運営を行い、勤務時間の削減に努めてきたかというと、そんなことはありません。マスコミ報道によって社会問題化するということは、この問題を国レベルで改善してほしいという、現場で働く教師たちの意思の現れともとれますが、はっきり言って、現場で果たすべきことや現場レベルで出来ることはたくさんあると思います。
要点1:教師はクラブ活動が負担に感じるのであれば、保護者と連携して休暇確保に動くべきである。保護者の連携が得られなければ、クラブ活動のオフ日を教師が望む日数だけ設定せよ。
課外活動(クラブ活動)にしても同じです。「週休2日にしたら、チームが強くなれない」と保護者からクレームを出されるのであれば、クラブ単位の保護者会を開いて、「子どもたちに練習をさせてあげたいのであれば、当番制にしませんか??」と保護者に投げかければよいわけです。中学生にもなれば、リーダーシップを発揮できる生徒が中心となって、自分たちで練習メニューを作成して実行するような主体的で自律的なチームを作ることは可能だと思います。その練習を学校で保護者が見守ればよいわけですから、そこに実技指導などの専門性は必要ありません。もしも休日出勤してでも、指導したいという教員がいるのであれば、その時はそのようにすればよいだけです。
そして
と主張し議論すれば良いわけです。
ここで、保護者が当番制に賛成できないのであれば、基本的にクラブ活動を週2回休みにすればよいと思います。子どもたちのチーム強化のために週休日も活動をしてほしいという保護者の思いも、その程度だったという訳です。
ちなみに私は、クラブ活動の外部指導者の導入についてもどちらかというと反対です。
理由は2つ、
- そもそも国や地方は、必要な財源を確保できない。
- 学校現場でさえまともな指導者を確保できない状況下で、さらにクラブ活動を適切に指導できる指導者を見つけ出すのは不可能である。
1つ目について、国や地方は財政難で苦しんでいるにも関わらず、どの口が言ってるんだと思います。外部指導者導入について提案するのであれば、財源の根拠を先に明確にしてもらいたいものです。
2つ目について、よく教師は社会経験がないから一般常識に疎く、それが教育活動に支障をきたしているという意見を耳にします。それ意見自体を私は否定しません。そのように一般企業に勤められる方が言われるのであれば、その通りなのでしょう。しかし、外部指導者の導入に関しては、その逆が言えます。
教育経験を持たず教職教養も身に着けていない、外部の人間が果たして教育活動を全うできるのか?
クラブ活動における体罰や暴言などの報道では、問題を起こした指導者の人間性に焦点があてられますが、子どもたちに規律ある行動を促しつつ自主性を育んでいくことには、多大な精神的、肉体的負担を必要とします。それを教師は、授業を始めとする校務のおまけとして実践しているわけです。従って、授業や校務そっちのけでクラブ活動に専念する教師ならまだしも、授業にかけるウエイトが大きい教師だと、まともに指導してあげることが出来ないのが現状です。まともな指導を受けていない生徒集団を見ると、とてもだらしなく見えてしまいます。そのような現実を目の当たりにすると、体罰や暴言などの恐怖と圧力によって、形だけでも規律ある行動が強いられている集団の方が、まだマシに見えることがあります。
教養のない指導者が、まともな指導を受けていないだらしない生徒たちの隣で、パワハラ指導者の脅迫によって規律ある行動を強いられている生徒集団を目の当たりにした時に、どのような指導方法を選択するのでしょうか。指導者の過去の成功体験の中には少なからず、当時の指導者による体罰が含まれていたと考えると恐ろしい限りです。新たな問題の火種となるのではないかと私は心配します。そして、大きな問題に発展した時に、火消し役に回るのが学校現場に身を置く教員たちになることでしょう。
長々と批判だけが中心の文章になってしまいましたが、教育現場単位で校務の効率化と削減を行う余地は十分残されていると思います。学校においては、教員の過労死など、最悪の状態に陥らないためにも、組織内の最適化に努めていきましょう。