「無事試験に合格することができました!」
と突然メールが届いた。その一報に、私も
「おめでとう。後は卒業を待つだけだね。」
と、素直に喜びの気持ちを伝えた。
「もう既に学校を去った私にも合格の報告をしてくれるのか・・・」
と、その生徒に感心すると共に、少しうれしい気分になったのだが、
「そもそも自分が生徒たちにしてあげられた事は、普通の学校の普通のサッカー部が当たり前のように行っている練習をさせてあげた事で、そのような学校の生徒からしたら当たり前のことに過ぎなかったんだよな・・・。」
と、心の中で1年前の事を回想した。そして、その日の夜頃に再びメールが届いた。
「先生のおかげでここまでこれたと思います。自分の好きなサッカーもさせて頂いて・・・。」
感謝の気持ちが籠ったメールであった。
私は、礼には及ぼないと思った。なんせ、繰り返しになるが、私がしてあげられたことは普通のサッカー部が当たり前のようにやっていること。いや、もしかしたらそれにも及ばないことだったのだから・・・。
しかし、ここで私は生徒たちの立場で過去を振り返り、彼らにとっては本当にありがたい状況だったんだなぁと再認識した。
地域の方たちの思いが学校に届いてようやくサッカー同好会という形で、正式に活動を開始したのは、この生徒が入学した1年後のことである。それまでは学校内での練習は認められず、少年サッカーチームのおこぼれを分けてもらうような形で、平日の夜に週2,3回程度、町内のグラウンドの片隅で練習することしか出来なかった。
当時の選手は、たったの4名で試合が出来る人数ではなかった。そこで公式戦には部員数の少ない学校と合同チームを組んで出場したが、三重県下では2校を除き、全ての学校とは片道100km以上離れた遠方に位置する地域で生活していたため、まともな練習を積むことが出来ず、試合はいつも大差で敗退した。
生徒たちは、とても歯がゆい思いをしてきたのではないだろうか・・・。
もしかしたら、自分たちは学校から正式なチームとして認められないまま高校を卒業することになるかもしれない・・・。
そんな不安と生徒たちは戦っていたのではないだろうか・・・。現にサッカー同好会が設立するまでに、2年以上の歳月を要したが、その間に、この非公式な団体から多くの生徒が去っていった。
そのような葛藤をも乗り越えて、ようやく学校から正式な団体として活動が認められた。私はまともな練習が出来るように、放課後は、隣の学校へ生徒たちを送迎したり、休日や夏休み中は遠征のために片道100km以上の道のりを奔走した。その年の秋の公式戦では、1勝をもぎ取ることが出来た。素晴らしい試合だった。
「ありがとう」とは漢字で「有難う」と書く。
私がサッカー同好会の生徒たちにしてあげられたことは、普通の高校の普通のサッカー部が当たり前のように行っていることである。
生徒たちが、そのような当たり前のことに対して感謝の気持ちが持てる人間に成長してくれてたことに喜びを感じると共に、これが教師の仕事の醍醐味なんだと思った。
普通の学校の普通のサッカー部の生徒にしても、朝、練習着を準備して、そして夜に汚れた衣類を洗濯して、翌朝も同じように練習が出来る環境を準備してくれている両親の存在があり、それは当たり前の様でいて、有難いことである。
当たり前のことを有難いと思える感性・・・。