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思えばこの3年間、私もリーダーの仮面ならぬ教師の仮面を身につけていました。

日本国憲法第 15 条第2項にある「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」
これは教師についても例外ではありません。
法律だけでなく、生徒たちも教師に対して公平性を求めていて、特定の生徒をヨイショする様な言動を見せれば自ずと生徒との信頼関係は失われていきます。
40名規模のクラスともなると、好感が持てる子 持てない子、真面目な子 不真面目な子、やんちゃな子と静かな子と、様々な個性に分類されていって、
私個人の素の性格とマッチするような生徒と,和気藹々と学校生活を毎日楽しく過ごせたら楽しい限りではありますが、
そういった生徒たちと楽しげに接するのであれば、それとは反対に相性が悪い生徒であったり、もしくは一方的に私を嫌っている生徒に対しても同様に接しないといけません。
その様なことを考えた末に、学校現場では私個人のあらゆる感情は一旦フラットにして、可もなく不可もなくの状態で生徒と接することを基本にしてきました。
こうしておくと、クラスの生徒がトラブルを起こしても、感情を生徒指導モードに冷静かつ速やかにシフトチェンジして、問題行動を起こした生徒と最適な精神状態で接することが出来ます。
もしも仮に、放課後のどこかで誰かと楽しくワイワイしている時に、
「あんたのクラスの生徒が何か問題を起こしたから、すぐに生徒指導室に来てほしい!」
なんて声が掛かろうものなら、感情を90°くらい動かして、まずは冷静になって、そっから適切な感情のトーンに変化させないといけない。
この急激な感情の起伏は、大きな精神的ストレスになってしまうので、心身のコンディションが万全でないと、怒りや憎しみの感情を生徒にぶつけてしまう可能性があります。
だから感情は常にニュートラル。常にフラットな精神状態で、どんな感情へもシフトチェンジできるように備えておきます。
私がクラス担任として最も重視してきたのは、ホームルーム教室が1人1人の生徒にとって、落ち着いた空間であることです。
1日6時間の授業。私以外の誰かの授業で、厳しいことを言われてへこたれてしまっても、休み時間になれば落ち着ける。
特別教室の授業が終れば、自分の教室に戻って落ち着ける。
そんな環境であれば自ずとクラスは落ち着いていき、生徒たちの学校生活の満足度はある程度補償されていきます。
従って、私が優先的かつ積極的に関わっていかなければならない生徒というのは、何らかの事情があって学校生活に溶け込めない生徒に絞られてきます。
こういった生徒は大抵学校生活に対して否定的なスタンスをとっているわけで、学校現場のルールを遵守しなければならない教師とは水と油。
馴染めないのであれば、退学なり転学させて排除してしまえば楽なのですが、そういう短絡的な判断基準で生徒を裁いてしまうのは素人の対応。
生徒自身の人生を考えたときに、今がどうあるべきなのかを考えて、そこに導いてあげることがプロ(教師)の仕事。
私個人の損得勘定で考えれば、学校に適応出来ない生徒はいない方が、クラス運営は楽になるわけで、実際に毅然と素人対応している先生を見ると羨ましく思うことがあります。
とは言っても、この様な生徒と1対1で接するのは不快ではなくて、今この時の対応が決して無駄ではないと思えるので、面倒臭さのようなものもありません。
ただ、生徒の心に寄り添った指導というのは、多大な時間を必要としますし、たとえ不快でなくても、必要な事だと分かっていても、費やした時間の分だけ、後でその他大勢の生徒たちのための授業の準備であったり、多くの皺寄せが襲いかかってきます。
担任業務を請け負った時に、このような今後起こりうるリスクを含めて勘定すると、私がクラスに対して施してやれることは、学校内外で何かしらの問題を抱える生徒のケアであり、それによってクラスの生徒がそこそこ落ち着いて生活できる教室空間を提供することくらいになります。
1学期2学期3学期と、こう言ったことに専念していくと、心身のエネルギータンクは空っぽになります。
常に生徒と接するときは可もなく不可もなくフラットに、そして問題行動が起これば全集中。
これが私がこの3年間身につけてきた教師の仮面です。
だから、クラスの殆どの生徒たちにとっては、私は人間味がなく面白くない人だったと思います。
3月の卒業式の日にもなると、いろんな先生がSNSで生徒との記念写真なり集合写真をアップしていて、その写真に映った先生や生徒の表情は満足感や幸福感に満たされているので、羨ましくも思ったりします。
しかし、私はこれで良いと思ってます。

好かれなくてもよいから、信頼はされなければならない。嫌われることを恐れている人に、真のリーダーシップは取れない

これは私が尊敬するプロ野球選手そして監督として数々の功績を残された野村克也さんの言葉です。
生徒から信頼されてたのかどうかはよくわかりませんが、ある程度の筋は通せていたと思いますし、私とは別の人が担任をしていたら、もう少しクラスは荒れていたと勝手に思っています。
残念なのは、本当にそうなのかを実際に検証できない事で、それ故に(学校から搾取され、安くこき使われることはあっても)こういった側面は教師の職能としてきちんと評価されません。
ただしかし、嫌われることをおそれてなかったかというとそうではなく、生徒集団の負の感情の集結からもたらされる学級崩壊を警戒してたので、ここはまだまだ私の未熟なところとして、改善の余地ありです。
嫌われることを恐れるというのは、

折角仲良くなれたのに、そこでキツイ事を言ってしまうと今までの良好な関係が途切れてしまう。それ故に、他人に対して厳しくなれない。

ということだと思います。
しかし、教員生活の特に終盤の数年間の取り組みを振り返ってみると、指導者としてリーダーとして、生徒たちと「仲良くならなくても別に良い!」という精神が仲良くなりたいという感情を乗り越えられるようになった気がします。
ここが私の現時点での到達点。
これから先は、真のリーダーシップが発揮できるリーダーを目指す段階です。
リーダーの仮面は、そんな私を真のリーダーに導いてくれそうな書籍です。
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