高校教育の現場より:私が退職を決意した理由④
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2年前の4月に結婚前提でお付き合いしていた方と別れました。

別れ話を切り出したのは私からで、その理由は結婚後の生活が成立するイメージが付かず、このままだとお互いにとっていい状態にならないと思ったからです。相手の方にとっては、寝耳に水。一方的に別れ話を切り出されて、とても落ち込まれたことを想像すると、とても失礼なことをしてしまったと、今でも反省しています。

私が退職を決意した理由

これから家庭を持つことを考えると、自ずと家族との時間が必要になってくるので、私自身に与えられた24時間の配分を調整しないといけません。「教師として学校現場で働く時間」、「三重大学アメフト部に関わる時間」、そして「個人の時間」。この内、いずれかの時間を「家庭の時間」に置き換えると考えます。

個人の時間を無くしてしまうと、精神的なバランスが維持できなくなります。

一番現実的なのが、三重大学アメフト部から手を引くことになりますが、そうすると私の生活維持基盤を、今後最も社会的に付加価値を生み出せないであろう高校教師の仕事に依存しないといけなくなります。

したがって、この選択も最善ではなく、このように考えていっても、一度退職することが、無難であるという結論に到達します。やり甲斐があって仕事に対するモチベーションが絶えず湧き上がってくるのであれば、仕事と家庭の両立も可能でしょうが、今の仕事に関しては、「毎日消耗する気力を補填するための時間」が必要になってきます。

結局のところ自分自身のライフプランを検討した時に、圧倒的な時間拘束を受けるのが今の仕事です。

これまでに教員間の負担格差や生活基盤を覆される人事異動など、さまざまな不平不満を抱え、それが精神的なストレスとして蓄積されてきましたが、この手の問題は今後も解消される事はないでしょう。

こういった自分にとっては不当に感じる待遇の改善を訴えたところで、

それはみんな同じこと!

として却下されることは目に見えてます。もし仮に私自身が校内外の人事を担当する立場であったとしても、個々の要望に真剣に向き合うことはないでしょう。

こうした不平不満を垂れながらも、毎日出勤して職務に専念している限り、現状を受け入れているのと同じことです。組織の一員となる事を受け入れている限り、組織の主導権は学校長を始めとする管理職であったり、人事を管轄する教育委員会にあるわけで、納得いかないのであれば組織を脱退すれば良いわけです。

組織を離れて個に帰れば、人生の主導権は個人のものとなります。

経済的に安定した身分を獲得するために、

とりあえず大学に進学しよう‼️

とか、

安定した企業に就職しよう‼️

という安定思考の価値観を世間や学校は植え付けています。私自身、そういった固定観念に染められてきた1人でもあります。安定した生活を求めることは、決して悪いことではありません。私も精神的な安定を求めて、退職を決意しました。

問題なのは社会的・経済的安定と引き換えに人生の主導権を簡単に他人に委ねてしまうことです。

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