今日は山田 暢司先生と会食してきました。
山田先生に直接お会いするのは、2011年12月23日の第41回東海地区高校化学教育セミナー以来の約9年半ぶりのことで、その時は山田先生が講師で私が受講生という立場でした。
この時に教えて頂いた実験ネタを学校現場に取り入れて、Facebookで披露していく内に先生と繋がり意気投合した次第ですが、ここ最近、私が関東方面にお邪魔する機会が増えてきたので、この際直接お話する機会を設けていただきました。
SNS上での交流が互いの近況報告代わりになっていて、私の中では顔見知りのような状態でしたが、直接お会いするのは2回目というのが何とも不思議な感じです。
退職を決意したタイミングの妥当性
先生も私と同じく、教師の授業(座学)は映像に置き換わっていくと主張されており、4月の電話でのやりとりでは、15年前からそのように考えていたということで、
15年前って、教員なったばかりの頃じゃないか!!
と、軽く衝撃を受けていましたが、今日の話では25年前から考えていたということで、先見の明の鋭さには圧巻の思いです。(じゅうごと[=15]とにじゅうご[=25]。電話では「に」を聞き取れなかったようです。)
25年前と言うと、パソコンで電子メールのやりとり出来るようになった頃じゃなかったっけ?
そんな時代に、どうして「教師の座学が必要なくなる!」という結論に至れたのか?
と、一瞬疑問に思いましたが、よくよく考えてみたら、NHK教育テレビで高校の授業内容が放映されていた訳で、そこから冷静に業務改善に取り組めば、ネット環境が存在していなくても、教師が授業しない仕組み作りに着手できたはずです。
大学生時代にアメフト部に在籍していた頃、公式戦のVTRをVHSテープにダビングして、コーチの家に郵送する作業をこなしていました。この経験を前提として1990年代に高校教師になっていたら、
というアイデアを生み出していたかもしれません。理科教師として、実験に特化した授業展開をする上で、座学の存在が厄介になってきます。何かしらの形で、「教科書の内容を全て解説する!」責任を果たさないといけないのですが、実験授業を乱発すると授業進度に遅れが生じてしまいます。
そのようなジレンマと理科教師は常に向き合うことになるので、運が良ければかなり早いタイミングで、現代のオンライン授業に通じる授業展開が実現していたかもしれません。
とは言っても、あくまでも「たられば」の話です。現に、ネット環境主流の時代で、私自身が座学不要論に辿り着いたのが、教員生活を始めて10年を経過する頃のことですから、90年代のアナログ全盛の時代に、そこまで画期的なアイデアを閃くことは容易ではありません。
(過去のFacebookの投稿を眺めていると、どうやらかなり教員生活4年目の頃から、座学の必要性については疑問に思っていたようです…。)
ただ、山田先生のような方から、もっと早く教育界の先行きについて貴重なアドバイスを頂けていれば、退職を決意するタイミングがもう数年は早くできたかなぁ…
と思ったりもします。
代ゼミの為近先生や東進の苑田先生の授業動画を入手したのが、2013年の3月頃。この頃はアクティブラーニングが現場のトレンドになっていて、自作動画を授業に導入することを考えていたので、場合によっては、この頃に教育系Youtuberに転身出来ていたかもしれません。
しかし、この当時の私は、教師として未熟な存在だったので、「教育界の将来性に見切りをつける!」という結論まで思考が及ばなかったことを考えると、この可能性も厳しいところです。
その様に考えていくと今年いっぱいで退職するというのは、判断としては遅すぎることはなかったのかなぁ…と思いますし、こうしてSNSを通して自己主張を展開していく中で、志を同じくする方との縁が生まれたので、ネット空間での自己主張は大切であると再認識した次第です。