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高校生に物理を教えるのは難しい。

ある物理の先生から、生徒に物理の授業がきちんと出来るようになるまで3年間辛抱が必要だと言われていた。

大学進学を目指す生徒が大半を占める県立高校で物理を教え始めてから3年が経過して、確かに当時の自分は、東京大学の問題を自力で解けるようになっていたし、それを論理立てて説明することが出来るようにはなっていた。

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しかし、私はその頃から、

「今の私には物理学を授業するスキルがない。」

ことを自覚して、物理を教える必要がない学校へ異動することを熱望した。

私は、大学で本腰を入れて勉強してきたわけではなく、そもそもの専攻は化学系だったので、物理を教え始めて最初の1,2年は、与えられた授業時間数の中で何を伝えればいいのかもわからず暗中模索状態だった。今だからこそ堂々と公表できるが、当時の授業風景など県下でトップレベルの底辺校かと見間違える程、散々なものだった。

ちょうど物理を教えて2年目の終わりを迎えようとしていた頃、そんな窮地を打開する可能性を秘めたツールを私は入手した。物理の授業の参考になる情報がないものかとネットサーフィンをしている最中に、代ゼミネット配信にて代ゼミ講師の為近和彦先生の物理講義映像一式を、ヤフーオークションにて東進衛生予備校・河合塾の苑田尚之先生の講義映像(VHS)一式を約30万円投資して手に入れた。

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為近先生は、物理学者の歴史を背景に、高校物理の範囲を逸脱せずに本質的な部分を講義してくれるので、とてもわかりやすく、苑田先生は、高校物理の範囲にとらわれずに、受験物理の難問題へのアプローチ方法を示してくれるため、難解だが目から鱗が落ちるような内容を提供してくれた。

この両名のおかげで、物理の進学指導スキルが向上しただけなく、自分自身の論理的思考力も同時に向上して、職業人としてのレベルが飛躍的に上がった。それだけでも十分な価値があった。

スクリーンレコーダーを所持していなかった私は、為近先生の授業映像をスクリーン越しにデジタルビデオカメラで撮影して録画し、苑田先生の講義を収録したVHSを1本1本ハードディスクにデジタル化して保存したのも懐かしい話である。

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それから、現役生が大学受験を突破するのに必要な知識と運用法を過不足なく身につけた私は、イージス艦並の近代兵器を引っさげた気分で3年目の授業に臨んだ。当時の私は、

「俺の伝えようとしている内容に問題はない。これで物理が出来なければ、俺の話を注意深く聴かない生徒が悪い。」

と言わんばかりの強気の姿勢と態度であった。

そんな中、私は今後の授業者としてのアイデンティティを形成する礎となるであろう1冊の本と出会っている。

この本は当時の私にとっても参考になる内容で、高校生に物理を理解させるのはとても難しいから、心してかかれというメッセージをこの書籍から確かに読み取っていた。

しかし、自分には為近先生と苑田先生がいるから大丈夫といった感じで、本質的な部分を学び取ろうとはしなかった。というか、それを実践しようと思うと多大な時間と労力を要し、とてもあの時の状況下では、即座に授業に活用できるものではないと判断し、それ以上は立ち入らないようにしていた。

今年こそは、生徒たちの物理の成績は飛躍的に向上するだろうという私の期待とは裏腹に、状況は改善に向かうどころか、むしろ悪化の一途を辿るようであった。

そんな中、受験を控えた3年生が天王山の夏休みを迎えるにあたって、理科、特に物理と生物の校外模試の成績不振が学校内で問題視されることになった。物理については、前年度に生徒から定評のあったベテラン教師を異動により失っていたこともあり、新規採用2年目の私の指導全般に対して疑いの目をかけられた。

「他教科の過度な課題や補習に追われていて、物理を学習するのに十分な時間が確保されていない。」

と主張するなど、私は相変わらず強気の姿勢を貫いていたものの、物理の授業がさっぱりわからないという生徒の声も聞こえていたので、表向きの姿勢とは裏腹に、内心は日に日に衰弱していった。

その時に、あるクラスの担任の先生から思いがけない報告を受けた。カ行で始まる成績優秀な生徒2名が、連日担当した日直日誌の総合所見欄に、

「物理の授業が面白い。」

という内容を記録していたというのである。あまりにも意外なことに驚いたので、私に報告してくれた訳だが、この事実を知った時、初めて今までの努力が報われたと、自分の心が救われた気がした。

「自分の授業には問題はなかった。伝わる生徒には、物理の面白さがきちんと伝わるんだ。」

ということを確信すると同時に、

「自分の授業は、成績優秀な一部の生徒のニーズしか満たせないものである。」

という現実を素直に受け入れることが出来た。今でもこの2人の生徒には感謝をしている。

そこから当時の学校を異動するまでの約1年半は、河合塾から物理の出前授業に1日だけやってきたアクティブラーニングを提唱する先生の授業を模した、中身のない授業内容でその場をしのぐことになった。

そして、そこから更に数年が経過し2018年。いよいよ早くて来年度、本格的に物理教師として教壇に立つときがやってきた。

あれから教師としての指導技術も上達し、当時と比べると、遙かにゆとりと時間を持て余している今が、

「科学(物理)をどう教えるか」

ということに真剣に向き合う時である。
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アメリカにおける新しい物理教育の実践

P1 第1章 導入と動機づけ より抜粋

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物理を教えることは、教員に感激を与えることも挫折感をもたらすこともある。私たち教員のように物理を学ぶことを楽しんでいる人間は、知っていることについて改めて考え直すことにより、知識を新たな一貫した筋道の中で再構成する。新しい演示実験を開発したり、新しい導き方を工夫したり、おもしろい問題を解いたりすることを楽しむ。私たちのように物理を考えることが好きな人間にとって、物理を教えることは、同時に自分が楽しく物理を学ぶ経験にもなっている。ときおり、私たちが教えようとしていることを理解する能力があり、物理に対する興味もある学生に出会う。そうした学生は私たちが教えることによって物理に目覚め、本当の物理理解者に変わっていく。そのような変化を見ることは、われわれが教育に際して経験するすべての挫折感を癒やしてくれる。

しかし一方、がっかりすることも多い。しばしば、私たちのすることの意味をよく理解してくれないような学生を受けもつことがある。しかしそれがクラスの大半だったりする。彼らはさっぱり訳がわからなくなり、こちらに敵意さえ抱くようになる。そこで私たちはそういう学生たちのために、授業をおもしろおかしくしたり、学生たちにさせることをより単純にしたりして、なんとか理解させようと懸命に努力する。しかしその結果、物理のレベルは低下し、私たちの悩みと失望は拡大する。

私たちのこうした悩みを軽減し、「わかった」ように思えない学生たちにわかってもらう方法はあるのだろうか。なぜ多くの学生たちに対して伝統的な物理の教授法がうまく機能しないのか。また教授法をどう改良すれば学生たちがよりよく学べるようになるのか。こうしたことが、ここ20年の間にしだいに解明されてきている。

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上の記述は、私の教員生活を代弁してくれている。

なんとか物理を理解してもらおうと懸命に努力するも報われず、拡大する悩みと失望から身を背けた過去に立ち返り、アメリカにおいて20年間の歳月をかけて結集された英知を学ぶ。

これが理科教師として11年目の夏を迎える私の決意表明である。

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