生徒1人1台パソコンが目指す教育界の未来
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来年度入学の1年生から、1人1台PCを購入することになるわけですが、

生徒たちがPCを使って教育を受ける未来においては、従来型の教師の必要性がなくなります。

現時点で、教師が生徒集団に対して講義するスタイルは、映像授業によって無価値化されたと私は思ってるのですが、

生徒たちにどのような情報を与えてやるべきか?

という適切な情報を精選する役割としての教師の存在は、まだ必要だろうと考えてました。

しかし、生徒がオンライン化されたPCで学習する未来においては、

例えば生徒が教科書なり映像授業を見る中で、教科書の何ページを何分間閲覧してて、「そこで検索したワードが何なのか?」等の履歴はビッグデータとして蓄積されていって、生徒の学習の躓きを分析し、それに対する解決策を人工知能が瞬時に解析して、適切な学習内容をPCが提供する!

という世界が一般化されてしまうわけです。

簡単に言ってしまえば、生徒がPC画面を眺めている間に学習が勝手に進行して、勝手に終了するという訳で、そこには教師が介在する必要性がないわけです。

だから、ある生徒が、高校の教科書の内容を進めていくにはまだ学力が足りないって判定されたら、教育段階を1段階下げて、学び直しを実行してから高校段階に入ったり、逆に教科書のレベルが低過ぎたら生徒のレベルに合った段階にまで内容を引き上げてくれるってことが可能になるわけです。

今の私たちからすると現実離れした話にはなりますが、生徒たちが1人1台PCを使い始めたら、あの手この手で生徒の学習情報が蓄積されていくので、10年後20年後には、そのような世界になっていることは十分に考えられます。

今、学校現場では教師がPCを使ってどうやって生徒たちに良質な授業を提供するかってことに専念しているわけですが、その理想形が10年後に達成されたとしても、もはや、そのような授業は必要とされていないという現実。

教育現場は常にいたちごっこ。やはり、この環境に身を委ねていたら、10年後には名実共に私は不要な人材になってしまいます。

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