学校に意識的に行かない、もしくは行こうとしても行けない生徒を不登校生徒と言いますが、
不登校は生徒の心の問題ではなく、あらゆる個性が受容できる組織に変革しない学校の問題ではないか??
と、今朝起きた時にふとそのような考えが頭の中をよぎりました。
学校に行くのが当たり前が世間一般の常識であり学校の常識で、そのような常識に敷かれたレールに乗れない生徒は、いつの時代も一定数いました。
ただひと昔前と比較すると、
対教師や生徒間の暴力行為が減少傾向にあり、生徒たちがおとなしくなる一方、何かしらの心の問題で学校に来れない生徒が増えてきた。
このように私自身も捉えていたわけですが、学校現場で抱える問題として、
暴力などの目に見える有形力の問題行動から生徒の内面に潜む心の問題に変化したとする考え方が間違っていたのではないか?
と、思ったわけです。
特に、これからの時代、子どもたちが世間一般の常識に従って真っ当に成長していったとしても、安定した生活が保証されることはないのではないか??
私が教壇に立つ中で、
自分自身の授業を受けることで、生徒たちが社会に進出した時の礎となり得るのか??
そのような疑問から生まれる自分自身そして日本の将来に対する危機感ゆえに、
一刻も早く学校現場を離れなければならない!
そのように思う立場から、よくよく考えてみると、いわゆる不登校と呼ばれる生徒を学校現場では、
心に問題を抱えている!
と、精神的な成長に何かしらの遅れがみられる子どもであると括ってしまうのは、
何とも独善的な考え方ではないか!?
とさえ思えてきました。
学校を非難しているわけではないのですが、物は考えようと言いますか、学校生活の価値観の中で生活できない子どもたちをフォローする体制がもっと充実していても良いと思いますし…
思うのではなくて、その体制の一翼を担うのは、これからの私自身である!
そのような結論に至りました。