クラス担任をしていると、進級が厳しい生徒のために放課後にマンツーマンでテスト対策の補習授業をすることがあります。この手の業務は、明らかにクラス担任の負担になるのですが、高校卒業を目指す生徒にとっては確実にプラスになります。人の役立っていると思えることは、それ程苦になりません。
ただ私は、
そのように思います。生徒の内面を鍛えるのが学校現場における指導者の職務ですが、どうしても生徒や保護者は、高校卒業とか安定している企業に就職するということを目的に据えてしまうので、教師の意識もそちらの方に傾いてしまいます。
高等学校は学ぶ権利を行使するところである
小学校、中学校は義務教育。ここでは社会生活を営むうえで必要最低限の学力と規範意識を身につける。
高校は、さらに自身の専門性を極めたいと思う学生がやってくるところです。
この辺りに、学校教育が一向に改善しない原因があるように感じます。生徒やその保護者は、生活の安定を求めて高校に進学してきます。
一方で高校教師は学習指導要領にしたがって、より高度な知識を伝達しなければなりません。
卒業後の進路が大学進学であれば、生徒たちの学習に対するモチベーションは維持できますが、「就職すればそれでOK!だけど勉強が嫌い!」という生徒にとっては、学校の授業が意味をなしません。そこで、そのような生徒たちに対して、学校は学業成績と就職先をリンクさせて指導します。
「いい成績をとらないと、いい就職先にいけないぞ!」
とか
「課題を出さないと卒業させないぞ!」
と、進路を人質のように扱って、学習を強要する指導がまかり通ってしまいます。
と思ったりもします。
高卒で社会人になる生徒が大半を占める学校では、3年生の1学期の成績までが就職試験の結果に反映されます。
だから、生徒はそこまでは必死に授業に取り組みますが、2学期に入ると途端に崩れていきます。
我々教師も2学期以降は、消化試合のような感じで淡々と授業を進めていく…。
高等学校は、高度な知識を学びにきている集団に対して授業する場であるはずが、いつの間にか就職することに目的が置き換わっている。
いや、そもそも高校入学の段階で、生徒と学校間の意識にギャップが存在していた。
昔は、それで良かったのかもしれません。工場で延々と単純作業を繰り返して製品を作って、それを販売すればたくさん売れた時代。そんな時代には、朝から晩まで椅子に座って先生の話に耳を傾けて言うことが聞けるお利口さんを企業は必要としていたのでしょう。
だから、
先生の話はしっかり聞きなさい。先生の言うことを聞かなければ退学だ!
という指導で、集団行動にそぐわない生徒を弾いていって、学校に通う生徒たちの質を維持すれば、従業員を採用する企業は安心して学生を雇うことができます。
採用した学生を企業が一生涯にわたって面倒見てやることができるのでしょうか?
それが年々厳しくなってきているという話をよく耳にします。
就職することがゴールの生徒、いつしか学ぶことが嫌いになってしまった生徒がこれから先の目まぐるしく変化する時代の荒波を乗り越えることができるのか?
私はとても厳しいと思います。
いやいや高校教師の仕事は、生徒を企業に送り込んで学校を無事に卒業させることだから、高校卒業後のことまでは心配しなくて良い。
確かにそう思って指導しないと、教師を続けることが出来ません。
そろそろ、このままでは良くない時代がやってくるというか、今まで先延ばしにしてきた現実問題ときちんと向き合わなければいけない時代がやってきたのだと思います。