はじめに
5月18日に教え子の男子生徒への強制わいせつ罪で逮捕され、釈放された直後に自らの命を絶った中学校の先生の件が、いつもの猥褻事件とは異なる事態に発展しています。
というのも、教え子たちの証言から見えてくる、わいせつ行為の加害者とされる先生の人物像は、俗にいう“わいせつ教師”の印象とは180度異なるものだったからです。
男女問わず分け隔てなく本当に誰からも愛された先生だった。
365日生徒のために尽くしてくれた。
このように生徒たちの証言から、先生に対する信頼が絶大であったことがよくわかります。
そして、先生の不幸を知った、多くの生徒や先生にお世話になった卒業生たちが悲しみに暮れました。
詳細な人物像については、こちらの記事を確認ください。
現代社会の教師という枠組みを超えた規格外の先生で、これだけ生徒に慕われるのは、教師経験がある私自身、とても羨ましく感じますし、
と素直に思いました。
やってしまった行為自体は決して許されるものではありませんが、これだけ学校教育に対して前向きに情熱を注ぐことができる先生はなかなかいないです。
しかし、この先生は大きな過ちを2つ犯してしまいました。
今回は、この2つの問題点についてはお話させていただきます。
■問題点1:過度なスキンシップ
それでは、まず問題点の1つ目ですが。
ということです。
まぁ、これは当たり前のことで、今回の件を痴漢行為だとすれば逮捕されるのも当然のことですが、
記事で証言する卒業生の発言に
とあります。
つまり、
世間一般では認められない行為であったとしても、子ども同士のじゃれ合いであれば認められてしまうことがある!
ということで、この点については、もう少し深く考えておく必要があると思います。
以前の記事で、教育で移すことが出来るのは形である。
ということをお伝えしましたが、今回の件にも当てはまります。
「スキンシップであれば、性的な部分に触れてもOK」
ということが、この先生との関わりを通して、生徒たちにも定着してしまっています。
生徒たちだけの仲の良い者同士、じゃれ合いであれば、
と思っています。生徒たちの様子を見て、明らかに嫌がっている場面であれば指導するのは当然のことです。ただ、逐一生徒たちの行動を監視してあれこれ注意するのは個人的には好かないので、
しかし、そこに先生が参加するのはいけません。
例えば、
のであれば、
じゃあ、
ということになります。
このように聴けば多くの人がNoと答えるでしょう。それが教師ともあれば以ての外です。
それで、この主張を聞いたら、
そのように反論されるかもしれません。
皆さんはLGMTという言葉を一度は聞いたことがあると思います。
LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字で、性的マイノリティの方を表す総称です。
世の中には女性が女性を好きになったり、男性も女性も好きだったり、はたまた生まれ持った身体は男性の身体であっても心は女性だったり、またはその逆だったり、
だから確かに、「男性は女性を好きになるもの!」ということが大半の人たちの常識として通用してしまう部分はありますが、一方で、その常識が通用しない人がいるのも事実であり、
そこに、「友だち同士のノリであれば、互いの身体を触っても問題がないという」認識に対する危険性が潜んでいます。
もしも、今回被害を受けたとされる生徒が、性的マイノリティに属する生徒だったとしたら、
自分自身の立場をカミングアウトする勇気がなくて、友だち同士のノリと称して、男子生徒から不用意に身体を触られることには、とても抵抗があって辛いことだったのかもしれません。
生徒同士のじゃれ合いでは友だち同士の人間関係を壊したくないから、気丈に振る舞っていたのかもしれません。
そうして普段の学校生活では限界ギリギリのところで我慢してたけど、先生から不用意に触られてしまって、堪忍袋の尾が切れてしまったのかもしれません。
そのように考えていけば、教師が不用意に生徒の身体に触れない方が良いことは理解していただけると思います。
本来教師は、このようなたわいもないじゃれ合いでひどく心を傷つけられてしまった生徒をケアする立場にあるのであって、生徒の傷口を抉るような立場になってはいけません。
生徒想いのとても立派な先生でしたが、この点については配慮に欠けていたと思います。
というのも、ある生徒の証言では、
とあります。
写真から見る先生の容姿は30代後半にしては若々しくて、生徒たちからは「ノリのいいお兄さん」の様に見られていたのかもしれませんが、年齢を重ねていくと自然と生徒との心理的な距離感は変わっていきます。
もしかしたら今がその過渡期にあったのかもしれません。
(また、そのように感じていた先生が学校内にいたのかもしれません。)
ですから、今回のような過剰なスキンシップについては、次第に生徒たちから不快な空気を醸し出されるようになっていったと思うので、相手を思い遣ることができる先生であれば、次第に周囲の空気を察して行動を改めていったと思います。
教師とは、生徒との日常での関わりを通して、自身のあり方を振り返り正していくことで成長していくものです。
だからこそ、今回の件で自らの命を絶つ必要はなかったのではないでしょうか。
■問題点2:自らの命を絶ったこと
ということで、問題点の2つ目は自らの命を絶ったことです。
今回の件で最も大きな罪だったと言えます。
生徒の身体を触ったことは確かに不適切な行為です。
しかし、これについては過ちを反省して、もう一度やり直せばよかっただけのことです。そういう姿勢を生徒たちに見せてやるのも教師の大切な役割だったはずです。
この先生にとっては、教師の仕事を奪われることは命を奪われることに等しかったのかもしれませんが、今回の件では懲戒免職にならなかったと思います。
もしかしたら突然逮捕されてしまって気が動転してしまい、冷静な判断が出来なかったのかもしれません。
この点に関しては、校長先生、教頭先生など、管理職に就いている方が、
「大丈夫。今回の件で免職になることはないから。また、ほとぼりが冷めたら学校に戻っておいで!」
仮に、懲戒免職になってしまったとしても、今まで関わってきた生徒たちが先生のために抗議運動に立ち上がってくれたと思います。
自分自身が犯してしまった罪の意識から死を選んでしまったのかもしれませんが、被害を受けた生徒にしてみれば、「自分のせいで先生を死なせてしまった…」と自責の念に駆られて、心に大きな傷を負ってしまいかねません。
そう言ったことを考えられない気量の狭い先生ではなかったはずです。
この点については私自身理解できないところです。
兎にも角にも日本の学校教育現場は、貴重な人材を失ってしまいました。同じ教育関係者として、謹んでご冥福をお祈りいたします。