東京大学での刺傷事件について連日のように記事が投稿されておりますが、
加害者の高校生は偏差値第一主義の被害者だったのかなぁ…
って気がしてきました。
記事より抜粋
「私の高校でも、医学部を志望する人の多くは(医学部にあたる)東大理科III類(以下、理III)を目標にしていて、最低でも京大医学部といった雰囲気がありました。灘、開成、筑駒といった超進学校では、医学部を目指すなら東大理IIIに行くべきだという刷り込みがあって、そうではないと成功したとは言えないような風潮がある。ですが、いざ医者になってみると、医学部ほど大学名が役に立たない分野はないと感じることは多いですよ」
しかし、進学校の医学部志望の生徒の間では、偏差値第一主義の考え方が根強く残っているという。偏差値順に上から受けていくようなスタイルは、塾による刷り込みも影響しているのではないかとみる。
そういえば、私も県内の進学校に勤務してた時は、やたらと進路指導部を中心に、「今年は東大合格〇〇人」って目標掲げてて、浪人させてでも東大に行かせようとしてました。私が学校教育に対して違和感を覚えたのはこの頃からだったのではないでしょうか…??
その学校を転勤する頃には、同僚に対する軽蔑の念を抱くと共に、そういった教員の狂気を熱意と取り違えていた赴任直後の未熟な自分自身に対しても憤りを感じたものでした。
その学校では東大理科III類ではなくて、医学部に行ける実力があれば東大に進学できるということで、「医学部志望者に対して東大に進路変更するような圧力をかける動きがあった」ように記憶しています。
後、何より気に入らなかったのが、生徒のことを「弾」と表現する会話です。
あの生徒は、第一志望が〇〇大学だけど、あの子は合格できる「弾」じゃない。
とか、
あの子とあの子は〇〇大学に(弾として)打たせるから、今年は〇〇大学の合格は〇名くらいかなぁ~~
その学校では、3年間の勤務でしたが、晩年は、
そんなに難関大学に合格したかったらてめぇが受験しろ!
って、思ってたものです。
三重県は、教職員組合の加盟率は他県に比べて高い方で、「教え子を戦場におくるな!」ってスローガンを掲げてたこともあったように思いますが、生徒たちの人生を弄んでいるような語り口には、うんざりしていました。
ある程度のレベルの大学を目指せる学力があれば、大人が介入せず本人の意思に委ねてやった方が人間的な成長の伸びしろは大きくなると思うのですが…
教育現場とはつくづくろくな所でないなぁ…
と思ってしまいます。