今日は学生の練習を見に行く予定だったのですが、急遽ミーティング中心の内容で、グラウンドでの練習をほとんど行わないことになったので、自宅に籠って動画編集を行ってました。
急な予定変更でしたが、編集作業が遅れ気味だったので、私にとってはありがたいところでした。お陰様で午前中に物理の動画が1つ完成しました。
力学の終盤の内容で、単振動は最も難易度の高く、多くの受験生が苦手とするところです。とりあえずこの単元まで動画を揃えることが出来たら、大学入試の力学分野については、それなりに受験生の役に立つようになります。(たぶん…)
午後に動画をYouTubeにアップして、その後、次の動画の収録まで進めることができました。今日は、なかなか仕事が順調に進んだように思います。
しかし、すでにYouTubeには、おそろしいコンテンツが存在していて、
私が丸々1週間かけて、単振動の動画を世に送り出してる間に、高校物理の力学の全範囲をこの動画に網羅されてしまいました。このような無料コンテンツが出現した故に、私は退職を決意したとお伝えしましたが。ただただ恐ろしいばかりです。
もはや、知識伝達系の授業は無価値化されてしまっているので、学校では学校でしか出来ないことを提供しないといけません。しかし、そう考えた時に、理科教師の置かれる状況は過酷の一途を極め、1人で40名の生徒を相手に、手の込んだ実験授業を展開することなんて無理な話です。教科予算も限られているというか、今後減らされていくことを考えると、学校現場でまともな理科教育なんて成立しないでしょう。
普段学校では、頑張って実験的な授業をやってますが、実験内容を振り返ってみると、そのほとんどが家庭で実演できるものばかり。そう考えると、
ってなります。
この先は、同一労働同一賃金が標準の時代にシフトしていくことが想定されるので、自分自身の強みは何かとか、社会に対して与えられる付加価値は何かということをしっかりと見定めて、社会貢献するように変化していかないといけません。
確かに、県立学校の教師という身分は、どこまでも保証されると思いますが、安定した身分にすがった先には、常に授業を受ける生徒たちの冷ややかな目線が突き刺さる毎日になっていると思います。
定年まで教師を務めることを考えた時に、いつかは母校に勤務して進学指導に専念したいというような想いがありましたが、おそらく、数年後に念願の母校への異動が決まったとしても、時代の変化にアジャスト出来ない自分の姿が容易に想像できます。
なかなか厳しい時代ではありますが、時代の変化にシビアに向き合い、必死に生き方を考えるというのも、なかなかスリリングで面白いことなのかもしれません。毎日必死に生きるからこそ、この世に生を受けたことのありがたみを感じられると言いますか…、惰性で生きるよりは張り合いがあっていいことのように思います。