いじめ問題
1.私が考えるいじめの定義
弱いものいじめという言葉の
「弱いもの」とは、いじめる側を指す言葉であること。
そして、
「弱い」とは、人の不幸な姿を見ないと満足できない人間の心
を指すということ。
このような一定の解釈を得た頃に、臨時の学年集会において、いじめに関する講話を行う機会を得ました。以下の文章は、その講話に臨むに際して、事前に伝えるべき内容を書き起こしたものです。いじめについて考える先生を始め多くの方々の参考になれば幸いです。
■弱いものいじめ
①弱いものいじめとは?
・学校の先生をやっていると、いじめられてる子を見た時に弱いものいじめはやめなさいって注意することがあります。この弱いものっていうのは、いじめる方といじめられる方のどっちのことだと思いますか。
○ケース1:いじめる方と答えた場合。
○ケース2:いじめられる方と答えた場合。
そうだね。先生もそう思っていたんです。でも、最近そうじゃないってことに気が付いたんです。いじめられてる子は、決して弱いわけじゃない。そう思うようになったんです。
考えてみてください。朝学校に来たら、こそこそ自分の耳にわざと聞こえるような声で、悪口言ったりうわさ話をしたり、家に帰って携帯電話を見たら、ラインとかフェイスブックやツィッターのタイムラインにどう考えても自分のことにしか思えない悪口が書かれてたりするんです。
それもおまけに、その悪い書き込みに、誰かがいいね!ボタンを押してたら余計に落ち込みます。何かみんなにのけ者にされてるみたいで、こんなの弱い人間じゃなくても落ち込みます。先生だって、こんなのされたら嫌です。落ち込みます。へこみます。
これ誰のことって、思った人がいるかもしれません。これは、誰のことでもありません。結構いるんです。1年生の中に。必要以上に傷ついてしまう子や必要以上に人を傷つけてしまう子が。
いじめられている子は決して弱くありません。本当に弱いのは、人の不幸な姿を見ないと満足できない人間の心です。これは、誰にも備わっているとても弱い心です。
先生だって、自分だけこんなに忙しいのに、何でこの人暇そうなんだろって、罪のない人を嫉妬したり妬んだりすることがあります。でも、そういうのは自分自身の人間としてダメなところだって、グッとこらえて頑張るんです。それでね、忙しい時期を乗り越えたらゆっくり心と身体を休めるんです。
そうやって、自分自身の心をコントロールできるのが大人です。
だからね、自分の胸に手を当ててみて、これっていじめになるのかなって、思い当たることがあったら、それは今すぐやめてください。人間の弱い心をさらけ出さないでください。みっともないです。
いいですか、「弱いものいじめ」、とは「心の弱い者たちによるいじめ行為です。」そこをみんな理解してください。
そしてもう一つ話しておきます。人間に他人に感謝されることに喜びを感じるという、とても素晴らしい心を持っています。
ついこの間ですか、1階の保健室前に埃がたまっていたから、教室からモップを取り出して、掃除してたんです。そうしたら、○○先生から、ありがとうございますって一言かけてもらいました。
別に人に感謝してもらいたくてやってたわけじゃないけど、その時の何気ない一言をかけてもらって、あぁ、廊下の掃除しててよかったなぁって、少し心があったかくなったんです。
人の不幸を生きがいにする人、人の幸せを生きがいにする人。是非、みんなは人の幸せを生きがいにできる人間になってください。
私からは以上です。