学校教育システムの欠陥(いじめ問題より)
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中学3年生の生徒による刺殺事件に関して、徐々に進展がみられています。


こういうニュースが報じられると、

学校の管理体制はどうなってるんだ!

って批判が集中するのだと思いますが、それが問題の本質ではありません。

学校側の対応に不十分な点があった。だから、このような悲惨な結果になった。

もしも学校がいじめ問題に誠実に対応できていたら、最悪の結果が免れたかもしれない…

そういう方向に持っていきたいのかもしれませんが、この件について、学校側が自分たちの非を認めて謝罪したところで、また別の学校で同じような問題が発生することでしょう。

学校の先生は多忙です。特に小中の先生は、様々現状を知るにつけ気の毒に思うほどです。いちいち数年前のいじめアンケートのことなんか覚えている訳がないし、1年前のアンケートが残ってただけでも上出来じゃないでしょうか…??

生徒間の人間関係を把握するなんてのも、教師が転勤して担任が変わった時点でリセットです。義務教育段階の学校なんて、給食費の支払えない貧しい家庭や知的障害を抱えた生徒、その他軽度の発達障害を抱える生徒から今回の生徒まで、個別の問題を抱えた様々な生徒の面倒を少数の教員で請け負わないといけない訳です。

「いじめが起きている!」と、そこの問題だけを切り抜けば、絶対に疎かにしてはいけない問題です。

しかし、

果たしてその学校に勤務する先生たちに、問題に着手する余力がどれだけ残されていたことか…??

そもそもの問題は、

そりが合わない者同士が、否が応でも接点を持たざるを得ない学校教育システムにある。

そのように私は考えています。

「同じ年代の者同士、多様な個性との交流を重ねて社会性を身につけるべきだ!」

という意見があると思いますが、人を殺めるほど恨み憎しむ対象と、毎日同じ空間にいる必要はありません。

学力だけを定着させるのであれば、中学生くらいであれば、オンライン授業でも何とか成立するでしょう。

学校に行ったら、またあいつの顔を見なければいけない…

学ぶという本来の目的とは違うところで過度なストレスを感じるのであれば、わざわざそのリスクを冒してまで学校に来る必要はないでしょう。

社会性を身につけさせたいのであれば、課外活動に参加すればいいでしょう。わざわざ不特定多数が集まる学校に詰め込むのではなくて、放課後のような環境下で、各々が興味関心を抱く活動であったり、気の合う友人が集う環境下で共に時間を過ごせば、最低限の社会的規範は身につくはずです。

昭和から平成、令和と時代は変わっていますが、何も変わっていないのが、戦後の学校教育。本質的なところにアプローチして解決を図らないと、根本的な問題解決には至りません。

マスコミ各位については、こうして誰かを悪者にして世間の怒りのベクトルをコントールするのではなくて、学校教育の在り方についての想いをもっと表現して報道してもらいたいものです。

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